ご飯と納豆さえあれば!
高評価を得るのは誰でも嬉しいこと。
ただし評価する側はほとんど人間でありそこには少なからず好みや印象といったあいまいさも加味されるがそこは人間だものということだろう。
ロボに評価されるようになったらお終いだもの。
食品メーカーやコンビニのメニューを高名な料理人に評価してもらう番組を見たことがある。
一喜一憂、中には涙を流す社員もいるがそこまでムキになる必要がどこにあるのかどうしても理解できない。
シンプルに売れたもん勝ちなのに物によってはボロクソに言われることもある。
それによって売り上げが下がることもあるのではないか?
大量生産でなおかつ高いクオリティなら文句を言うヤツは少ないだろうがうまくて安いには限界があるし誰もそこまで求めていないしうまいもんが食べたかったらその高名な料理人が作る高級な素材を使った高級な料理を食べた方が満足度も上なのではないか?
もちろん誰にでも作れるものではないし専門学校で学びこれまた高名なレストラン、はたまた海外で何年も修行して今の地位に昇りつめたであろうことについては敬服以外のなにものでもない。
ただそれをわざわざテレビでしなくてもいいと思うのは私だけだろうか?
メーカーが招いて品評してもらいなんなら開発の手助けをしてもらえばいいだけのこと。
偉そうに!
と思ったのは私だけではないはず。
といってもテレビ側も数字が取れたもん勝ちだし時代にマッチしたということだろう。
試食しただけで素材や調味料やはたまた分量まで判別できてしまうと素人は神の舌と崇めがちだしその通りかも知れない。
青森県民の多くは食べたリンゴの品種を言い当てられるらしいがたとえば牛肉はどうだろう?
ググってみたらブランド牛のランキングトップ10というものまで存在する。
何の順位なのかまったくわからないがそのトップ10の味を判別できる人間はいるのだろうか?
他の産地のものと食べ比べしてこれが大間のマグロと百発百中で言い当てられる人間がいるのだろうか?
地鶏の味をすべて把握してる人間がいるのだろうか?
もちろんいるかも知れないしそれこそ神の舌に間違いないと思う。
だがその反面スーパーで安売りしてる食材を食べたらどう感じるのだろう?
吐き出してしまうのではないか?
とてもじゃないが幸せだとは思えないしかわいそうだとも思う。
いい素材を使えばおいしいのは当たり前だし高いのも当たり前。
そうでもない素材を使って安くておいしい料理を提供するのが本当のプロだと思うのは私だけだろうか?
貧乏人のひがみと言われればそれまでだがお腹を空かせて食べればなんでもうまいし何も考えずにおいしく食べられてなんぼの人生である。