言うは易く行うは難し
人類の歴史は戦争の歴史。
数百万年前に猿から進化してその後文明を持つまでに至り科学、そして医療技術も日進月歩だがいまだにその脳は未成熟ということは戦争がなくならないことでも一目瞭然だ。
かのスタンリーキューブリックの不朽の名作、2001年宇宙の旅の冒頭のシーンを思い出す。
猿人?だろうかある日こん棒のようなものを見つけそれを手にして仲間を痛めつけて力を誇示する。
それを使って食べ物を横取りもしただろう。
他人が食べてるものはなぜかおいしそうに見える。
隣の芝生は青く見えるとはよく言ったものだ。
欲しいからくれよ。
くれなきゃ殴るよ。
争いの原因のほとんどはそういうこと。
それがまかり通るならこの世界はとっくに存在しないが幸いにして人類は自制心というものを持ち合わせている。
ただ残念なことにいまだに猿人の遺伝子が受け継がれていると思わせるような暴挙に出る輩も少なくないしそれが権力者だとなおさらタチが悪い。
メディアでは毎日のように報道されるし嫌でも目や耳に入ってくる。
それを対岸の火事と思うのも明日は我が身と思わないのも平和な証拠だがそれが平和ボケだと気づく頃は時遅しということ。
専門家やコメンテイターが言いたいことを言って司会者はそれにうなずいて進行させるだけの番組に何の意味があるのだろうといつも思う。
それすらできない自分が言えた義理ではないのだが事の発端のいかれた大統領が核のボタンを押さないことだけを祈るしかない。
ありきたりだが平和がいちばん。