髪は女の命
今年のアカデミー賞はハプニングで盛り上がったようだ。
ジョークといえども俳優の奥さんを揶揄する発言をしたプレゼンターが悪いとか、
それでもやはりいかなる暴力も容認されるものではないとか賛否両論があるのは至極当然のことだしメディアはここぞとばかりにはやし立てる。
ここで思うのだがすべての暴力が悪なのかということ?
子供に対する躾まで暴力といわれたらたまったもんじゃないしいけないことをしたら語彙力のない幼児には昔からお尻ペンペンが一般的である。
大人になっても語彙力はデリカシーというものに形容を変えて存在するしデリカシーのない人間には躾が必要であってしかるべきだと思う。
お尻ペンペンすらできないバカ親が増えたから心身に受けたり与えたりする痛みを知らないまま育ってしまうのではないのか?
小学生の担任にとても怖い教師がいたのを思い出す。
遅刻はもちろん忘れ物、掃除、等々ルールに反する行動をするとすぐに鉄拳が飛んできた。
もちろん悪いのは当の本人だから叩かれるのも仕方ないというスタンスだったが今は一発でアウトのご時世だ。
先生は怖いけどそれでも学校は楽しいところだったしなんならあの時叩かれたから今の自分があると思っているヤツもいるかも知れないしいないかも知れない。
単純に窮屈な世の中になってしまったと言えばそれまでだが自分の奥さんのことを侮辱されて腹を立てない人間の方がいかがなものかと思うしあのシーンにおいてもただ笑ってやり過ごして終わりだったとしたら奥さんのダンナに対する気持ちはどうだったろう?
今回の騒ぎによって受賞資格をはく奪されたり追放されたりするかも知れないらしいが評価された事実は不変だし演技に対しても奥さんへの想いも誇りに思っていいと思う。
どうでもいいことだが俳優の一撃、そしてプレゼンターのクリーンヒットを許さない反応の速さにナチュラルボーンスプリンターと呼ばれるファクターを見たような気がする。
ところで戦争は暴力の最たるものだと思うのだが正当防衛はその限りではないと受け止めるとプレゼンターが俳優を返り討ちにしてもそれは正しい行為になる。
それでいいのか?と思うのは私だけだろうか。
それと日本アカデミー賞なるものもあるがどうしてマネするのだろう。
マネするから格の違いを見せつけられることに気づかないのだろうか?
オリジナリティの欠如もなんとかすべし。